[横浜日記] 困った時には手を動かすと良いことが起こりやすいという話

メモの魔力

我が家のお嬢様は、しばしばドツボにハマる... 自分をコントロールすることが出来ない。まだまだお子ちゃまなのだ。困ったものである。

ところで目下のところ、彼女の最大の課題は、「作文ができない」である。いやいや、その根本に横たわる問題として、そもそも文を書けないという悩みがある。

ちなみに彼女、学校からはスケジュール帳を使って計画を立てて、それを地道に推進することが励行されている。一週間に一度チェックするのは、僕の役目である。幸い先週は、ギリギリのところで帳尻合わせを実現してくれた。
(実のところ、計画を記入する段階から週末になっていた)

それにしても驚くほど、彼女の手は動かない。もちろんイラストは若干の進歩があって、僕よりはセンスある絵を描けるようになった。しかし文字となると、「からきし」なのである。

遠近両用レンズ

小学校時代の絵日記を毎日バリバリと片付けていたのが、遠い夢のように感じられる。
(たしかに遠い昔になりつつあるが)

困ったことに、彼女はフォローされても全く手を動かさない。なんか意地になって、父親の言うことに耳を貸そうとしない。単なる間抜けか、それとも反抗期か...

だって... ねえ...

人間の思考力など、たかが知れている。友だちと相談することが出来ない状況だったら、自分の力だけで進んでいくしかない。そういう時には、過去の自分であるメモ書き文章と向き合うと、それなりの知恵が浮かんで来ることが多い。

(浮かんで来なければ、その時は力技で突き進むということになる)

もちろん誰でも最初は、なかなか手が動かない。最初のうちは、誰でもそうなのだ。僕のように、お見合いの紹介文と言われてA4/5枚も書いてしまうようなヤツは、ガイバー(規格外品)なのである。
(ちなみにこの紹介文、我が家のどこかに家族が隠しているらしい。いざという時に最終兵器として使用することを宣言されている。とほほほほ、ほ)

しかしいつかどこかで、人生や仕事や学業などの課題に挑戦することが必要となる。だから落書きでも構わないから、不真面目でも構わないから、ともかく何かをノートへ書き込んでみる習慣を養うことは大切。そしてメモを書き込んだ自分を見つめたりしながら、少しずつ本題へ向かってみれば良い。

大過去の自分、過去の自分、現在の自分が揃えば、仮想的には三人だ。「三人寄れば文殊の知恵」であり、不思議と頭は動くようになって来るし、発想も生まれやすくなって来る。

メモというのは、会議の時だけ取れば良いというものではない。むしろ在宅勤務が進み、何かを口に出して説明する機会の減少した今こそ、メモを取ることが重要になって来ている。

そういえば会社に配属された新人君、2022年7月18日時点では頷くばかりで、まだ全く手が動いていない。僕とは別な業務ラインだから関与するところではないけれども、これから果たして大丈夫なのか心配になって来る。

誰だって最初は、闇夜の中にいるようなものだ。困ったら四行作文であっても構わない。「どうして小野谷氏は、夏でも花粉症眼鏡を装着しているのだろうか」でも構わない。また分かった単語を四つだけ書くことに挑戦するとか、逆に分からない単語を四つだけメモしてみるというアプローチでも構わない。

あとになって見返してみると、実は自分が何をどこまで分かっていて、何が分かっていなかったのかということまで、ノートに書き込んだ内容は解説してくれる。だから指導する側としては、配属されてから一定期間は日報や週報を書くように指導することが定番になる。

「今日は暑かった」でも構わない。これを書くと、「私、どうして暑く感じたんだっけ? いつが暑かったんだっけ?」といった疑問が湧き出して来る。

そういえば本記事の発端となった母親にしても、今は老人ホームの介護棟で退屈している。筆記具とメモ用紙を確保してから介護ビルへ移動した訳では無いのだ。お袋さん、看護師のいるマンションの室内において、あろうことか熱射病で倒れたから... さぞや退屈しているだろう。

モレスキンの薄型ノート

やっぱり四行作文を推奨していた小学校の先生は流石だ。最近のお嬢様はスマホ利用時間が長くなっており、ローコンテクストな説明にしか対応できない場面も増えて来たようだ。

そういえば僕も、エラそうなことを言っていないで、iPad利用マニュアルをダウンロードすべきだった。知恵だけでは役立たないけれども、知恵があれば、何度でも蘇られせることが出来る。

そういえば僕はダイソーの100円ノートで頑張っているけれども、書き込む内容は、読み直すに堪えれない耐えれない品質だったりする。おはずかしい。

ちなみに僕としてはDAISOノートは大いに役立ってくれたし、これからも役立ってくれるという気がする。だから何かをメモするという活動に悩むことは、今のところ全くない。

それよりも特殊ケース的な存在である僕が困っているのは、「人の話をちゃんと聞いて理解すること」である。それで「初心忘るるべからず」という意味で、わざわざ「傾聴」という文字を印刷している。

へっへっへのへー

そういえば齋藤孝先生も、「頭の良さはノートで決まる」という本を執筆なさっていた時期がある。

頭のよさはノートで決まる:イメージ図と色の活用

今回はメモやノートを取る場合には、「イメージ図と色を活用すると良い」という話です。 Barbara Minto氏はPyramid Principelの中で、人間の思考には図(イメージ)が大きく…

ともかく「何を書いても構わない」で、書くことに困るというのは羨ま... いやいや... 大変に心配である。あまり真面目に根を詰め過ぎず、適当に「のらりくらり」と進んでみるのが良いかもしれない。

ともかく落書きだって構わないから、まずは手を動かしてみるという選択肢を、スキマ時間に埋め込んでしまうのが良いかもしれない。

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静